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「浅草」は、江戸時代から庶民の娯楽の地として繁栄を続けてきた土地で、その中心浅草寺は、観音信仰のメッカとして年間4000万人もの参拝客が訪れます。今から約1370年前(推古天皇時代)、宮古川で漁をしていた檜前浜成・竹成の兄弟の網に一寸五分(5.5cm)の聖観音像がかかり、捧持したのがその起こりとされ、金龍山浅草寺として庶民信仰の中心となっています。
浅草が一大歓楽街として発展したのは江戸時代。吉原の賑わい、歌舞伎の盛況、見世物小屋や大道芸人も集まり、「祈り」「遊び」「憩い」の同居した歓楽街としてその名を知られるようになります。明治以降も、様々な庶民の娯楽を提供する場として発展を続け、映画が庶民の娯楽として登場すると、浅草にも多くの映画館が立ち並び(浅草六区)、娯楽を求める多くの人が訪れました。
昭和30年代から、テレビの目覚しい発展によって映画産業は下降線をたどり、やがて時代の流れとともに来街者数も減少して、日本一の繁華街も次第にその様相をかえてきました。現在は江戸情緒残る街として観光客に人気のスポットとなっています。
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